2010年9月30日木曜日

考察

大した研究じゃないにも関わらず時間を費やした発表は無事に終え、クルマの運転免許取得を画策。



中野から木場へ様々な人が乗って降りる東西線はもうすぐ到着。



簡単な事から攻略。



もう間もなく。

2010年9月21日火曜日

鳥音

起こりうるすべての事には理由があるんだって。


2010年9月19日日曜日

媚びる

ほら、ワンピースで本当に死ぬ時はみんなに忘れられた時だってあるよね?



僕の考えとしては自分の考えを何らかの形で外に出せないと2割くらい死んでしまうと思います。

考えを集める方法なんてアナログ・デジタルで沢山あるから、建設的に活性化したい。





コメントくれたら全力で返します。 と言いたかった。

2010年9月18日土曜日

体型も気になる

才能があるとか努力家だとか、そういう点よりも、体系化する能力ってものすごく重要だと感じる。最近。


体系  Yahoo辞書より
個々別々の認識を一定の原理に従って論理的に組織した知識の全体。

個々の部分が相互に連関して全体としてまとまった機能を果たす組織体。


今の自分にとって、
体系化する≒優先順位をつけるってこと。

個々別々の認識を原則的なものを決めて、組み立てるピラミッドのような意味として捉えて、一時間ごとくらいにパソコン、ソファ、自転車、旅、テレビ、お酒、などの個々別々の認識が目まぐるしく入れ替わる。それは一定の原理が無いから、もしくは一定で無いから。


つまり、欲深いってこと。それだけ。

this idea occurred to me

個人的な話、とりあえず、とか つまり、って結構ずるい言葉だな。


逃げ口を残しつつ前に進もうとする姿勢や、過程をなぎ倒して何事も無かったかのような顔している気がする。


あまり使わないようにしたいが、使いそうだな。やだな。


個人的な話。

世の中の「今」を知る最高の方法です。ってさ

twitterで気になった言葉群を紹介してみようかと思う。皆日本のどこかで生きている人々。ずっしりする言葉。  名前入れれば著作権的な問題はきっと大丈夫だよね。うん。



音楽や小説は不特定多数の人に向けて(あるいは自分と向き合って)書かれているのだろうけど、僕らはそれを自分宛の贈り物として受け取る。だから作り手に対して「ありがとう」という言葉が湧いてくる。お金を払う。これがコミュニケーションの基本だと思うし、人に対するリスペクトのあり方だと思う。 」   jemappellesacaiさん


大学では全く勉強せず、要領よく単位をとることだけに腐心し、会社に入ったら意味のない会議、意味のない飲み会。先輩や上司より仕事が出来ぬよう、モテないよう気をつけ、サービス残業ニコニコしてそつなく仕事をこなし、安い年功賃金を受け取る。正統な日本人であるというのはとても大変なんだな
この日本にある大量の大学のおびただしい数の学生のほとんどがまったく授業に興味を持たず、ただただ卒業のスタンプを押して貰うために「代返」「カンニング」「楽勝科目」「ノートコピー」を駆使して、いかに勉強せずに単位を揃えるかということを4年間もやっているかと思うと感慨深いね。」           kazu_fujisawasaさん



暇つぶしに何をやっているかがその人の本性。  これはブログ。Qetic



「よく「とりあえずビール」とオーダーする人を見かける。50歳になり、最後の瞬間に「ああ、オレの人生は幸せだった」と締めくくりたいと思っているなら、「とりあえず」の時間をつくってはいけない。」            ohmaebotさん

「世界で一番子どもを殺している爆弾のクラスター爆弾(殺される98%が民間人。うち4割が子供)、調べてみると作っている会社に融資していたのは、「三菱東京UFJ」「みずほ」「三井住友」日本の3大メガバンクでした。この銀行にお金を預けている方は、世界の子供を殺す 」                 makiuenoさん


星の王子様という話の中で「僕のイメージ通りの羊の絵を描いて」というお願いに対する最高の正解が箱の絵を描いて「この中に羊入ってるよ」っていうことだったわけなのだけど、面白い話ってやつはいかに「絵が浮かぶ箱」を描写してあげるかってことじゃないかね。」              hiromuさん




などなど。  刺激的だぜ。

 

繁々とつながる

「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の良さに興奮してしまって、googleで「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」で検索したらいろいろとブログ書いてる人がいて、

なかでも この なんとなく思う。 ってブログに様々な点で共感した。

と言っても「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について記事を書いていたのは五年前で、更新自体も三年前で止まってる。いくつか年上で、記事を書いていた頃は大学生みたいだ。これに、ちょっと感動した。過去からの手紙的な。


普通、人と繋がる時ってあらかじめ決められた共同体が決まった時期と期間で与えられるけど、本から繋がるってのはなんだか真新しくて、気持ちがいいなと思った。


趣味が合うと感じるときだって、面と向かって話しながらだんだんと分っていくものだし、小世界から大世界みたいに繋がる方法がこうやって増えてきているなーと感じる。

人を知る→嗜好を知るから、 嗜好を知る→人を知る


mixiは「何を書いたか」じゃなくて「誰が書いたか」が重要って話とも関連ありそう。
ちょっと廃れてきてるらしいが。

きんようのよる

sunday issueって店でkino igluって移動映画館シネクラブなるものを観た。

いろいろと断片的で楽しかった。

2010年9月15日水曜日

雨が季節を運ぶ

いつも傘を二つ持ってる人について小説みたいのを書いてみたい。





ちょっと考えてみよう。

2010年9月13日月曜日

今日+眠り-月



ちょっと探すだけで、地球規模で未来を変えようとしてる人の話が聞ける事は歴史の教科書を読むより身近だし現実味がある。

しかも、こーゆー偉い人ってメタファー?的な例えが上手い気がする。分かりやすくコアな部分を表現すると共に想定外なケースも上手く例える。スティーブジョブズも。アメリカ人のユーモアかな。




ネットから、表面的なだいたいな知識を身につけられるような気がするし、知的に面白い娯楽もたくさんあるのに、少しも賢くなったような気がしない。テレビやネットでさらっと手に入れた知識って人と話してもさらっとしてしまう。

たぶん、知識を得るツールとしてはめちゃめちゃ優れているが故にそのまま受け流すのも簡単に出来るからだ。
知識×(思考+経験)+話す技術=伝える

みたいな数式でやってみよう。

知識=伝える
になるから「へ~そうなんだ~」で終わってしまうのかも。

会話をもっと建設的に。




数式繋がり。ピタゴラスイッチをこなごなのバラバラにして、整理した感じ。

雑話

村上春樹の短篇 「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について話したい。

この話がすごく良い。  そもそも100パーセントの女の子って何だろう、って思い、話に洒落がきいてる。


話したいが、上手く説明出来ないのでぜひとも読んで欲しい。



というか、ここ最近村上春樹の小説ばかり読んでいたので、感想の記事ばっかりになってた。





 今日は、木場にあると言われていたツタヤをついに発見して、ハゲタカの4話と「ゆれる」って映画を借りた。

所持金1000円だけしか無くて会員登録で300円、DVD二本当日で380円、牛乳二本買ってほぼ遣い切った。

ハゲタカは鷲津さん格好良くて、ちょっと勉強にもなる面白い話。


「ゆれる」は香川さん、オダギリジョー、真木よう子なんかが出ていて心が非常に揺れるきわどくて危うい話。



どっちにでてる役者さんも好きになってしまって、いろいろ観たいなーと思う。


 

2010年9月7日火曜日

2

gui boratto-No turning back (original Mix)HQ

1

gui boratto-beautiful life

重々承知

昔、たぶん大学受験のために勉強していた時だと思う。



国語の現代文の問題の中に村上春樹の「国境の南、太陽の西」の文章があった。確か小学生のハジメと島本さんがレコードを聴いてる場面だったと思う。

あの時に感じたのは問題にしては不透明で曖昧な場面・描写だったにも関わらず、この小説を読みたいという気持ちだった。その事を受験終わったらじっくり読んでみたい本としてノートに記しておいた。長くは続かなかったけれど。

そのノートを大学に入ってから見つけて、その「国境の南、太陽の西」をブックオフで100円で買った。



 それから定期的にひっぱりだして一気に読む。



「 国境の南、太陽の西」の評判は分からないし、読む人によってはただの不倫の話かもしれない。だけど、僕はすごく好きだ。あの埃をかぶった感じがすごく良い。

 でも、たまに昔の自分を本を通して感じているのかもしれないと思う。本をたくさん読むようなタイプじゃないし、昔の自分に栄光があるわけでもないけれど、あの時読んだ自分と今読んだ自分は確実に何か違っていて、でも本は全く変わってない。読み返す度の新しい発見は自分の進化と退化(すごく相対的な)だとも思う。だから公平な批評は出来ない。


これか、大人が「若いうちに沢山本を読め」っていうのは、 と思った。



 若い頃の五感と脳で味わう様々な体験っていうのは、もう煙草とか酒以上に中毒性の高いものになりうると思う。

 今の自分も若いとすると、今も小さな子供から愛されるジブリやディズニーやマックとかはこの先何百年も残っていくと思う。人間に余裕がある間は。それはエンターテイメントやファストフードの枠を超えて文化になると思う。





高校生の頃に読んだ何小節かの文章がこんな風に楽しめる事が嬉しい。もっとこういう事が増えたらもっと嬉しい。

2010年9月4日土曜日

質と量

浅く広くだったり、深く狭くだったり、人付き合いっていろいろある。


どんなルールにも例外はあるって前提付きで良くいろんな事を定義付けする。頑固で強固に。

違う事柄を同じ言葉でまとめるような作業が好き。


音楽。

ジャンルに拘らず、まず聴いてみるってスタンスを前々から持ちたくて、意識して最近はわりとそういう傾向を持てるようになったと思う。
そのおかげで面白い音楽も見つけて、ますます掘り下げていきたいと思った。

  

 その意識を人付き合いに運びたい。

 まとまったものを違う事柄で表現したい。

と思う。

こうやって勝手気ままに心のラクガキみたいのを書けるとすごく楽しい気分になるな。何かの形で出力するのは結構好きかも知れない。

井戸や猫

最近ずっとねじまき鳥クロニクルを読んでいて、体半分現実でもう半分が夢みたいな旅行、言い換えると逃避みたいな生活をしてました。


特に三章は音楽聴きながら読んだりしたら2,3行で意味不明になるようなワンシーンで切り替わりすぎて地に足がつかず、シナプスが繋がったり繋がらなかったりです。




生きるのは半身浴くらいがちょうど良いのかもしれない。

循環と分岐点

僕は雑誌があまり好きじゃない。雑誌にお金を払うのが嫌いだ。その理由として、広告が多くて様々な思惑を感じてしまうこと、次の流行を示す指標見たいのを提供してしまうこと、と感じるからだ。そこに大きなお金の匂いのする流れのようなものに乗りたくないなと思ってしまう。中二病とかサブカルチャーってのも僕にとってはすごくその感覚が影響していると思う。

お金を得て、何かに遣うってループがあってそれは非常に重要でどんなにお金の匂いを避けてもそのループは強固だと思う。

働くとなると自分がもうすぐその循環の一部分(多かれ少なかれ)になって影響を与えることになるわけで自分が手に入れるものをもっと良く吟味しなきゃいけないなと思う。



「コンビニのレジの隣においてある募金箱に心のない余った小銭が遠くの飢餓で苦しむ子供を救うって不思議だよなー」みたいな事を友人が話していて上のこと考えた。


おそらくコンビニで何か買う時に生死を問うような状況はほとんどなくて、その余裕なモノを買って、かつそのお釣りの中でも小さな額が命救うって良く分らないな。


暑さで頭が少し溶けそうなので溶けそうな音楽。