2010年7月26日月曜日

一つ気づいた。

天井まである本棚に古い本がぎっしりあるのが好きだ。


目に見える溢れる知識、みたいの感じる。





海辺のカフカを買った。

土用の丑の日

香ばしい山椒にきもすい。


国産のうなぎは高すぎる。学生には買えないな。



twitterやってます。iwaueでやってます。

2010年7月17日土曜日

ノルウェイの森

何度か読んで、自分なりにようやく分かってきたので文章にする。


ネタばれが含まれます。



この話の中で二回でてくる

[死は生の対極としてではなく、その一部として存在している]

これが非常に大事なキーワードになっている。

自殺したキズキと直子と僕が大元の軸でキズキの死が生の一部として物語りが進む。加えて生の一部として死が極めて大切な要素にも見える。

病気で死ぬ緑の父と緑と僕であったり、自殺した直子とレイコさんと僕であったり、死者を交えた三角関係(恋愛関係ではない)によって生の一部のピースが埋まっていくような感触だ。


共通の大切な死者によって生者のより深まる愛?苦悩?だったりが最後僕とレイコさんがやってしまう理由なのかと思う。

映画も観に行こうかな。





 最近、同じ本を何度も読むのが楽しいです。面白い本を教えて下さい。

2010年7月7日水曜日

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Ryuichi Sakamoto +33

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i am robot and proud-learn from mistakes

Inuneko theory

然るに、犬と猫について考えた。
きっかけは僕が自転車に乗っている時、電話しながら犬を散歩している人を見かけたことだ。


犬と猫が何を考えているか分らないが非常に人間に干渉された存在だ。
栄養を考え美味しく調合?されたドッグフードを食べて、服を着る。毛を整え散髪してくれるトリマーもいる。延命もされる。



小学校の頃、「野良」と呼ばれるボサボサの犬と猫を見て、私は可哀想だな、と思って牛乳を買ったりもした。

今考えてみると潜在的にペットとして飼われる事>>>野良犬野良猫という意識を持ち続けている。衣食住安心のステータスか、それも人間のものさしだろう。
野良という言葉もなんだか気に入らなくなってきた。


ここまで考えて、長い歴史によって人間が生態的にも観念的にも犬と猫から野生を奪ってしまったのでは、と感じた。 小鳥は巣に返すのに、と。




昔飲みの席で「本当の愛っていうのは相手の自由をも愛する事だ」のような言葉を聞いた。今も頭に残っていてときどき思い出す。


この自由って部分は性格にも。文化にも、野生に言い換えられそう。

紐で縛らずに。柱で爪を研いでも良い。  


と飼ったこともないのに眠い頭の中を綴る。すいません。

2010年7月5日月曜日

tuite

twitterの魅力について。
驚くほどに繋がる。誰かが立食パーティーみたいなものだと言っていたけど言い得て妙。誰にでも話し掛けられる環境がある。より楽しむために輪を広げて、アンテナを立てていく必要があるように感じる。


日本代表について。
奇跡と呼ぶには、強すぎた。悲劇というにも不確実な負け方だったように思う。新聞やネットでも上手く形容されていないのは、その強さの要因がまだはっきりしていないからかもしれないと感じた。二人のキャプテンのおかげ?


選挙について。
行こう。




熱について
健康は宝だと死ぬまでに何度忘れるのだろうか。体温計が欲しかった。



iphone4について。
 今も待っている状態。 もうそろそろ我慢の限界で3GSを買おうかとも考え始めた。



音楽について。
monocismを良く聴いています。 エフェクターを買おうと画策。