2012年5月6日日曜日

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Moshimoss - Slow Days It Was Super


Polar M - Cast a Shadow


Dub Tractor - And You Are Back


2012年5月3日木曜日

高尚ではなく深遠で、遠くではなく近くに (上)



まず、はじめにここ数ヶ月で感じていた事を書こう。落書き程度のメモ。

・SNSに絡め取られる
・孤独こそが重要な要素なのでは?(仮説)
・ソーシャルネットワークサービスというように、SNSは社会の連絡網を提供している
・現実社会に結びつくものを大事にしている
・一人でいる時間も大事な時間でそれも重要なはずだけど、いつでもどこでもつながれるっていう状況は、目の前にもっとも基本となる社会があるにもかかわらず、他の、今現実にはいないヒトとのつながりを優先してしまう事がある。これに疑問を感じてきた。
・この点は電車の中でひとりで本を読んだり、ぼーっとしたり、音楽を聴く時間などと比べて、
Twitterをみたり、Facebookをみたりする時間のほうが重要であるのかとか..
・持論:最終的に現実として触れるモノに時間を費やしたほうが生きるのは楽しいんじゃないか?
・ひまつぶし、というのはなんらかの目的に向かって行動しているときに生じる時間の隙間だと思うが、つぶすようなものではなくて、楽しむ姿勢
・ひとりが芸術をつくる/芸術って言葉はがっちりしすぎてる

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元より、テレビの存在にいろいろと興味があった。
その理由は、笑いとか感動とか怒りの矛先とかの画一化の側面。
思えば、テレビを見ないと次の日の教室での話題についていけないなんて変な話だと思う。そこまで色濃くあったとも思わないけど。

ここ最近、この画一化の側面をSNSにも感じる瞬間があったりする。
テレビみたいに一つの対象(芸能人等)にフォーカスはされにくいけど、
常にオープンされた皆がいる広場があり、個人個人が少しずつの情報を持ち寄って安定を保つ空間。

SNSはすごく楽しいし、友達とも広く簡単にすぐに繋がれる。本当に便利なモノなんだけど、
時々、苦い味がするというか、あまり良いモノではないな、と思いことがある。
-久しぶり感を奪ってしまった
-SNSが行き着く先ってどこなの?
とか...



SNSに限らず携帯電話やネットが普及した事で奪われてしまったものは、
自分の頭で考えて孤独になる時間なのかもしれない、と思い始めた。
これは、ちょうど自分が流山おおたかの森へ引越しが決まった頃で、
「東京から離れ、静かなところで生活するのは良い修行の機会だ」っていう合理化する考えがあって、
その思考が帰結した先が、[人間には孤独が必要だ] だった...笑

そんな事を考え、iphoneからSNSのアプリを消してみたり、ケータイを持ち歩かなかったり、
自分の時間を作るように仕向けてみた。自制出来るタイプならそんな事はする必要もないと思うけど。

意識的にSNSを避けてみて感じたのは、
もっと自分は自分のしたい事に対して時間を割くべきで、
自分の為に偏屈に生きる方が、何よりも大事なのかもしれない。
そして、周りのヒトには成長した姿とか変わった姿を見てもらったらいい。
多くの個人的な経験は久しぶりにあった時の酒の肴で。
など支離滅裂な事を考えてる。






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(下)に続く