2011年5月31日火曜日

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小林大吾-処方箋/sounds like a lovesong







まさに吟遊詩人。本業は文字書き?

2011年5月30日月曜日

もう寝よう。

働きはじめて、いや、そんな働いてる自覚もまだないんだけど、やっぱり話したい相手や逢いたい相手に会って話をする時間が短くて、歯がゆく感じる。





時間って大事だな。時間によるけど。

2011年5月23日月曜日

ideal behavior in realizable interior

1.美味いご飯食べる



2.美味しいコーヒー飲む



3.なんか作業する



4.公園で走る



5.風呂で本読む



6.次の日早くなかったらビール飲む





発散と吸収。

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手漕ぎボート-小林大吾

2011年5月17日火曜日

眠りがまぶたをたたく頃、

「家訓は 勤勉 質素 海への敬意」



「『冒険』という言葉が乱用されている」



「目の前が崖だったら、そのまま進むか回れ右して進むかどっちがいいか」



「欠陥のあるシステムを存続させる義務はない」











180°southを観てきた。ドキュメンタリー。



良い映画だった。いろいろ掘り下げる言葉を穏やかで力強い人々が語っていて、彼らは山や海と友達になっている。





先週の日曜日、最寄の千歳烏山から一番近い下高井戸シネマにいって観てきた。

ここはかなり古くからやっているようで、

かなり小さなシアターが一つだけある。上映作品もかなり絞られてる。

でも、他の映画館には無い佇まいで居心地が良かった。









この映画をみる前から、

社会が発展したことで「責任」と「実感」を感じにくくなってしまったのかもしれないって

ぼんやりと思っていた。





自分がしたことによって直接「ありがとう」って言われる仕事ってどんどん減っているような気がしていて、

それはいろいろ便利になったおかげで自分が誰の為に何をしているか霞んでしまうんじゃないかって。



コンビニで買物する時だって、目を合わせもしなかったりするし、店員もそれを期待していなかったりすることが多いと思う。

多くの人の手が合わさって生産性が上がり、それぞれの役割が固定されて明確に決定されていくと

責任は減少する。社会の発展にとって特定の誰の責任か分からない、あるいはみんなで少しずつ背負う責任は

メリットになる。



この「おかげ」、というか「せい」というかで実感がすごい損なわれてる。





もちろん生まれたときからその社会にどっぷり浸かって恩恵も受けている。どうすれば良いかわからないけど、こんな疑問が頭に巡る。







そして、この映画もそれに近い話をしてくれたんじゃないかと思った。











自然への責任。

自然への実感。    

自然の中には人間も含みたい。 







足で地面を蹴って、その固さを感じることができるならきっと大丈夫。

2011年5月14日土曜日

mirroring

自分をとりまく人、環境がくそったれに思うときは自分がくそったれの場合が多いし、すばらしい人や環境のときは自分が成長しているとき。







という言葉に心から同感。鏡。

2011年5月11日水曜日

stay hungry,stay foolish,stay selfish

google chromeのトップページを価格.comのmacbookの製品ページにしてみた。



毎日、300円くらい安くなっていく。

























このまま値段が下がっていくのを、ただ黙って見てろっていうのかッ!

2011年5月10日火曜日

言葉の精確な重さを量れたらいいのに。

柴田 翔という人の「されど われらが日々」





という本を読んでるんだけど、やはり一世代前の本が組み立てる文章は心が波立つ。

いまのところ「こころ」と似た形式。







正確で、繊細で、力強い、という感じ。







文章フェチかもしれない。

ひとこと、ふたこと

ファンタスティックプラネットっていう古いフランスのアニメ映画がある。









さっじゃぬというバンドが映像を流しながらライブしていたのを今でも強く覚えてる。







かなり刺激的な内容で、艶美で独特な気持ち悪さがある。

観てみようかと思う。









今週末、180°south観てくる。

2011年5月7日土曜日

動機の言語化か•••あまり好きじゃないな

最近、人と会うことに対して全く好き嫌いをせずに会ってるんだけど、会う人にとって俺だけにある可笑しさやとっかかりを感じて欲しいと思ってはいるけど、そのためにどうすれば良いかは分かっていなくて特に自分の意見を話すのも聞かれるまで待っていて、かなりの聞き役にまわっていて、このままではなかなか悔しいな、と一人唇を噛み締めたりするけど、かといって新たな出会いに対して自分を自分が望む形で知ってもらうための方法が分からなくて今までの出会いの多くが自分の良さを引き出してくれた人ばかりで感謝の気持ちでいっぱいになったりしたりしていることを、たぶん普通に書いたら青臭い内容なので一つの文にしたけど効果は薄そう。

2011年5月6日金曜日

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battles - snare hanger



何か考えるときはアナログに、紙にえんぴつで

会話に潜るタイプと泳ぐタイプがあるなら、それなりにどちらもできるけど潜る方が得意だと思う。











少し楽器やったことある人ならわかってくれると思うけど、

歌が楽器の一つになるというか、歌が主な曲でも楽器が歌と同じ高さに並ぶ、もしくは超えて聴こえてしまうと思う。特にそれは自分が触れ合ったことのある楽器だと顕著で、よく知ってるとよく理解できる。



なんとも、対人関係においても自分が身を置いている環境で仲のいい人は恋人を探すのがポピュラーになってて、興味はあっても、想像ができないものにはあんまり手を出さなかったりすることは多い。憧れを例外として。



















「ブログを書くために文章を書く」



「ストレス解消は買い物です。」



「将来の夢はお金持ちです。」





目的と手段が入れ替わってしまったところにおもしろさがある?





ブログは文章を発表する為のツールでお金はモノを買うための道具。

手段が多様で強大であるほど、目的と手段は逆転しやすい? 



自分が好きでやっていることは目的?手段?













目で的を視る、手で段をとる、どっちが先でも良いのかも。