2011年6月18日土曜日

反芻、

ひとは相手を自分の知っている形に丸め込みする(丸め込み誤差の話)





この記事、けっこう似た事考えているような気がする。

小言

男の人が語尾に星マークつけてるのがなんだか愉快な気持ちになる。









それじゃあよろしくね☆







的な。









なんか、にんまりしてしまう。







読んでくれてありがとね☆

2011年6月14日火曜日

2011年6月11日土曜日

ぬっへっへ

感情的な話を論理的に説明しようと必死になるけど、伝えたときには理詰めで考えてるようになってしまうのは力量から当たり前のことなんだろうか。





でもそういう繰り返しが楽しくもあったり。

2011年6月5日日曜日

せつなさ

漠然と思う。



もうすぐ23才になるっていうのに

このまま話し足りないままに年をとるのか、と。





話し足りなさを解消するには、自分が相手に近づくか、相手が自分に近づくか、があって相対的な距離は同じ。





今まで楽しく話していた人とひさしぶりに会うときに昔みたいな距離に一気に近づけるのなら、そういう技術が欲しいって切に願うよ。







刹那感、刹那さ。

2011年5月31日火曜日

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小林大吾-処方箋/sounds like a lovesong







まさに吟遊詩人。本業は文字書き?

2011年5月30日月曜日

もう寝よう。

働きはじめて、いや、そんな働いてる自覚もまだないんだけど、やっぱり話したい相手や逢いたい相手に会って話をする時間が短くて、歯がゆく感じる。





時間って大事だな。時間によるけど。

2011年5月23日月曜日

ideal behavior in realizable interior

1.美味いご飯食べる



2.美味しいコーヒー飲む



3.なんか作業する



4.公園で走る



5.風呂で本読む



6.次の日早くなかったらビール飲む





発散と吸収。

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手漕ぎボート-小林大吾

2011年5月17日火曜日

眠りがまぶたをたたく頃、

「家訓は 勤勉 質素 海への敬意」



「『冒険』という言葉が乱用されている」



「目の前が崖だったら、そのまま進むか回れ右して進むかどっちがいいか」



「欠陥のあるシステムを存続させる義務はない」











180°southを観てきた。ドキュメンタリー。



良い映画だった。いろいろ掘り下げる言葉を穏やかで力強い人々が語っていて、彼らは山や海と友達になっている。





先週の日曜日、最寄の千歳烏山から一番近い下高井戸シネマにいって観てきた。

ここはかなり古くからやっているようで、

かなり小さなシアターが一つだけある。上映作品もかなり絞られてる。

でも、他の映画館には無い佇まいで居心地が良かった。









この映画をみる前から、

社会が発展したことで「責任」と「実感」を感じにくくなってしまったのかもしれないって

ぼんやりと思っていた。





自分がしたことによって直接「ありがとう」って言われる仕事ってどんどん減っているような気がしていて、

それはいろいろ便利になったおかげで自分が誰の為に何をしているか霞んでしまうんじゃないかって。



コンビニで買物する時だって、目を合わせもしなかったりするし、店員もそれを期待していなかったりすることが多いと思う。

多くの人の手が合わさって生産性が上がり、それぞれの役割が固定されて明確に決定されていくと

責任は減少する。社会の発展にとって特定の誰の責任か分からない、あるいはみんなで少しずつ背負う責任は

メリットになる。



この「おかげ」、というか「せい」というかで実感がすごい損なわれてる。





もちろん生まれたときからその社会にどっぷり浸かって恩恵も受けている。どうすれば良いかわからないけど、こんな疑問が頭に巡る。







そして、この映画もそれに近い話をしてくれたんじゃないかと思った。











自然への責任。

自然への実感。    

自然の中には人間も含みたい。 







足で地面を蹴って、その固さを感じることができるならきっと大丈夫。