2014年8月13日水曜日

美容室と理髪店の違い


いままで、ずっと美容室に通っていた。

おそらく小学校にあがった頃くらいには、
なんとなく親や姉と一緒に同じ美容室でカットしてもらうのが日常になっていたと思う。

その後、中学、高校、大学と成長するにつれて、
住んでいる街が変わるごとに美容室を変えていたりするんだけど、

美容室を選ぶ決め手ってなんだろう?

この疑問、かれこれ10年くらい考えているかもしれない。

切ってもらう美容師さんやまわりの人に聞いてみたけど、
・フィーリングが合う。ニュアンスが伝わる。
・話が合う
・あの美容師さんなら私のくせっ毛を処理してくれる
・技術が高い(と感じる)
・店の立地や店としての格が高いと感じる
などさまざまな理由があるらしい。


自分なんかだと、
・新しい店に行く度に前提となる情報や話題を積み上げていくのを億劫に感じる事はある。
・しっかりと髪型をセットするときはするけど、ぼさぼさのままのことも多い。昔から。セットしても寝癖と間違われたこともある。
・髪を切ってくれる人のひととなりはすごく大事だと感じる。いいひとに切られたい。


まあ、そんなことを考えていたりしていて、
アプローチを変える試みをしていたりする。

まず、最初に思いついたのはセルフカット。
それなりに髪が伸びてきたら、合わせ鏡とすきバサミを使って、
自分の髪をなるべく左右対称にカットする。
これは、程度をわきまえれば、経済的だし、家で出来るので楽で早い。

でも、失敗すれば取り返しが付かないし、雑な切り方をすれば、
ひょっとするとまわりの人も気づいてしまうかもしれない。
それに、ゆくゆくは技術をもった人に調整してもらう必要がある。一時的な対策になる。

そして、もうひとつは、理髪店での散髪。
理髪店ときくと古くからある、年配の人向けのお店のようだけど、
最近はおしゃれな理髪店も増えていて、若い世代も通っているヒトが多いようだ。

熱いタオルを顔に乗せて、髭剃りに顔剃りにマッサージ...。
そういうのも気持ち良さそうだなと思って行ってみることにした。

体験してみて感じた美容室と理髪店の違いはここ。


美容室
シャンプーのとき、椅子を後ろに倒し寝かせる。(女性は化粧したままでOK)
客の性格やキャラクター、ファッションをベースに要望に合わせた髪型をデザインするプロデュースの側面があるケースも。

理髪店
シャンプーのとき、客が体を前に倒して、髪を洗う。(これだと顔に水がかかってしまう)
首より上の毛をすべて整える。眉、顔の産毛、ひげ、耳の産毛など。
カット中。会話は少なめ。リラックスできる環境を重視。
ある程度の範囲内で遊び過ぎない実用的なスタイル。


など、あたりまえの違いを体験して学んだ。
求めるモノによって使い分けたいと思う。


首相の首元にカミソリを当てる理髪師もいるんだろうな、と想像すると緊迫感をもった仕事なのかもしれないなあ。


2014年7月27日日曜日

知らない人へ分かりやすく伝えられるだけで、それは大きな価値を生む


IT系の仕事です。
LinuxっていうWindowsみたいなモノがあって、そういう類のモノを使っていろいろしてます。

とか自分の仕事を紹介する時に言ってるんだけど、
どうしてもマニアックな印象とか小難しいイメージにとられる。

今となっちゃ世界の多くの人が持ってるスマートフォンにも同じような仕組みが動いてて、便利でオープンで素晴らしいモノなんだけどな。


働いて何年か経つけど、自分の仕事の良さをうまく説明出来ない。

所詮は「道具」なんだけども、とてもとてもオモシロイものなんですよ。




2014年7月12日土曜日

昨今の刺激






夏来たるよなあ。

台風が過ぎて、すっかり夏のにおい。





すばらしいchromeの拡張機能があったので。

Momentum



新しいタブ開くとこんな感じ。

2014年6月8日日曜日

A man devoted to introspective activities.


26歳になりました。
なかなか更新ができていないのだけど、無事生きています。楽しい日々です。

自分の中で25歳という年齢の重さはこれまでと格別で、
もっともヒトの生死感、有限さをズシリと味わった歳だった。

そんなこともあって、
機会を待つのではなく、自分で選びたいと強く願った。
自分の意思で、自分のタイミングで、人生の舵を切るような選択もした。

自分の意思以外で決められてしまったことは指示された通りに動けばいいから心は楽だ。そして、そのぶん言い訳ができるけど後悔が生まれることもある。それはまっぴらだ。


シビア過ぎたり、誤謬を生むかもしれないけれども、
今、感じることを整理しておきたいと思う。

さまざまなシチュエーションで起こることだけど、
これは自分の時間を費やすべき対象なのかどうか?という感覚が強くなってる。
遊びや体験や挑戦をしないわけではなくて、その取捨選択の幅や質を深く見極めたいと感じるようになった。

昔から持ってた、
自分の中で、「で?」と思うような奥行きのない場や時間に対して、深い感動を得られないことが確信に変わりつつある。

根拠や理由のない刹那的な楽しさに若干の嫌気が差したり、
同時に、生きることに対するざらっとした質感。

それぞれにとって、大事なものがあるべきだと想うんだけど、
個人的な見解として、長期的な目線で深みや奥行きのないことに対してあまり興味を持てなくなった。

自分が求めるものと、それを前提とした毎日に整合性がとれてるのかどうか、辻褄を合わせた日々を送りたいと思う。

まあ、こんな緊迫感のある言い方をしているけど、
・自分が大切にしているものは何なのかじっくりと考える。必要があれば順番を決める。
楽しいと思えることは何なのか、それは10年後にも楽しいと思えるのかを考える。
・家族や友人を大切にする。
とかそういうことだ。


ポール・ブールジェ(Paul Bourget)というフランスの小説家のこのような言葉がある。




Il faut vivre comme on pense, sinon tôt ou tard on finit par penser comme on a vécu.





フランス語でさっぱりなんだけども、
「考えたとおりに生きることだ。そうしないといずれは、生きた通りに考え始めてしまう。」
ということらしい。良い。



心に個人的な強い宗教を持つこと。
芯は強く、柔軟な。


高校生が書いたような文章になっちゃったけど、今回はよしとしよう。







2014年4月26日土曜日

滞りがち


あれがしたい、これがしたいと本当に思っている人はもう既に始めてる。
ってよく出てくる話。

環境が整わないと動けないかもしれない。
なにかと理由をつけて先送りにしてしまってるだけかもしれない。

そのわだかまりを抱えて毎日こなすよりは、少しずつでも進めていたほうが精神衛生上いいし、幸福度が高いと思う。



別に出来なくってもいいし、中途半端に終わってもいいから、
次、何をするかを意識しよう。

もうあっというまに今年の3分の1が終わっちゃったけど、
あらためて、考えていることを整理したいな。

本日も人生ゲームを数コマ進めます。


2014年2月18日火曜日

2014年1月21日火曜日

The new year of 2014 begins.


今年もよろしくおねがいします。
無事、元気で生きています。




近いうちに、
2013年のPlaylistと反省と包括、今年の指針を考えておきたいなあ...

2013年12月15日日曜日

Zen Buddhism

世田谷区にある龍雲寺というところで、座禅を組んできた。

龍雲寺 洗心坐禅会

こちらでは、毎週日曜日の朝6:30から坐禅会を開いている。
その坐禅会に参加してみた。



はじめ、寺に入ると、

「座るのははじめてですか?」

と聞かれ、何を言っているのか分からなかった。
どうやら、座禅を組むこと→坐ると言うらしい。

なんとなく察して、
「はい。はじめてです。」
というと少し待ってから、寺の住職さんが丁寧に座禅の組み方を教えてくれた。

このお寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、
座禅の組み方も寺の宗派によって異なるらしい。

ここからは、臨済宗妙心寺派の座禅の組み方。

まず、座禅は下の3つを整えることが目的。
①姿勢
②呼吸
③心

①と②が整うと自然と③が整ってくることになるという。

[姿勢]
・ざぶとんなどをいれて、お尻を高くする。
・あぐらをかいて、辛くなければ両足首を自分の太ももの内側に乗せる。(辛ければ片方でも、載せなくても良い)
・上半身を前後左右に揺らして安定する体制に持っていく。そして頭の上から1本の糸で引っ張られるような意識で背筋、首、頭を伸ばす。
・上半身が作れたら、両手をへその前に持ってきて、手を輪する。(座禅でよくみる形。定印というらしい)親指と親指の間はほんの少しくっつけるか、紙一枚がはさまる程度に。
・目は少し開けて、自分の座っているところから1.5mくらい前の地面をぼーっとみるようにする。

[呼吸]
・息を吸うのはいつも通りに行い、息を吐くときは、深く、ゆっくりと吐き出す。
・吸う→吐くをひとつの固まりとして、1〜10数え、10回繰り返す。
・10までいったら、また1に戻る。その繰り返し

この寺では25分1セットx3


この組み方はこの宗派のやり方なので、
壁に向かって目を閉じる、手の組み方は両膝において輪を作る、数字は数えない、
など、宗派によって方法は様々らしい。


この姿勢と呼吸を保つことで、自然と心も整ってくる。




日頃、気が向いたときに瞑想に近いことはやっていたんだけど、
あらためてしっかりとやり方を教わり、座禅を組むのは非常にいい。
小鳥のさえずりしか聞こえない静かすぎない朝の静寂の中で、ただ坐り、数字を数える。

心がとても静かになる。

普通に生活していると、
ついつい、人生のことや仕事のことやどうでもいい事や、ちょっとした家事とか、
ぐるぐると頭に浮かんでしまう。

座禅は、心の花瓶からめぐりの悪い水を一度捨てるような、そういう澄んだ効能を得られる。



5分でも暇な時に座ってみよう。いや、忙しい時にこそ。