2011年8月27日土曜日

囲いの中の幸せと

いわゆる、「あいてぃー」について思う点として、



・想像を実現できる幅が広い

・想像の割合が多くて漠然としてる



ってのがある。



現実の世界と0と1のデータ世界を比べると



現実の世界がいかに経験則的なルールに乗っ取っているのかを感じる。



例えば、現実の世界なら

気づいたらしっかりと地面に立っていたし、

それに対して何の疑問も抱かないし、

学問として引力や重力の関係を勉強しなくともそれは毎日成り立ってる。



それに対して、データの世界だと、

まず、「なぜ、地面に立つことが出来ているのか」という点がはっきりしないと

その現象を作ることが出来ないし、立っている状態にとどめる為の別なルールも必要になる。



経験則では解決できない分、制約で世界を作っていく必要がある。

自由度が非常に高くて、この点が面白いところ。







でもこの自由度が厄介で人間の理解に落とし込むのも大変な作業だし、

理解を昇華させていくのも難しい。多くの人が出来るわけじゃない。





だから、いわゆるciscoやwindowsとかは

誰よりも早く大枠の世界を作った、もしくは広めたことで盤石な地位を築けた。



現実の世界でいえば、終戦後の日本は経験則では解決できない時代で

高い自由度で現実を作っていけたのかもしれない。今の大きな企業とか。











無意識にもルールに寄りかかって生きているわけだけども

ルールが無い世界っての体験してみたいなあ。

抽象的でよくわからないけど。

















コードも打ったことない人間の話す無題のメモ帳。

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