2009年3月14日土曜日

目印

mixiというサイトで足あとを見ていると、全く見知らぬ土地で違う文化を持った人と音楽ないし考え方が適合するとわずかに今日が楽しくなる。
繋がりを持たなくてもそれを知っただけで今日みたいに暗い雲が空を
覆った日も趣があるように感じられる。

新宿や大宮、池袋と人が多くいる場所へ行くと、混沌とした情緒と少し汚れた安堵に包まれ心地良くなれる。人との距離を考えさせられるようになってからそうなったのだと思う。そんな事を考えるようになった事は悲しい。

鉄を鍛練したような、またはただ道端に落ちてる石のような対極にあるものはとても魅力を感じる。というか相対的って言葉を使えばそれは同じものなのなかもしれない。利益も策もないとこで作られる意固地な感覚が生み出した産物を評価したいと思う。でもそんなものはもう無くなってしまってすでにバランスを計る事しか自分には出来ないような気もしてしまう。

すれ違った人が死んでも感じるのは自分の死に置き換えた時の嫌悪だけだ。
存在すらしていない気がする扱い。繋がりは些細で偉大で見えにくい連鎖みたいだ。ここで思う事が何かに小さな影響を与えて、明日の自分にかえってくると思う。つまり明日の何パーセントかは今日かと思う。

また明日楽しい事があったら良いなと思った。

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